新年あけましておめでとうございます。
今年は寅年です。
私は娘が3人いまして、長女 梢32歳、次女 楓30歳、3女 栞27歳。今回は「3女 栞と私の絆をテーマとした寅にまつわる深い いい話」です。
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栞が中学校2年生の時、通っていた平田中学校の次年度PTA会長を私が住んでいる地区から選出しなければならず、選考する会議が開かれました。私は仕事の都合でその会に出席できなかったのですが、夜8時頃会社で仕事をしていると携帯に電話がかかってきて「今、満場一致で多久和さんが次年度PTA会長に推薦されました。多久和さんにハイと言っていただけなければ、今日お集りの皆さんが帰れません」と言われました。そんな訳で当時生徒数が500人を超える出雲でも大きな平田中学校のPTA会長を引き受けることになりました。欠席裁判で就任したPTA会長ですので何をしていいかわからず、でも何かをしなければならない。その心境は次年度大社ロータリークラブの会長を担う私の今の心境と非常によく似ています。
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PTA会長に就任して3ヶ月程たった頃だったでしょうか、先生方との懇親会がありまして、ある先生が私に「多久和さん、最近の中学生は元気がなていけませんわ。何とかなりませんかねぇ」と相談されました。それを受け私は「わかりました。私が何とかしましょう」と返事をし、中学校の秋の体育祭の開会式を利用して全校生徒に『闘魂を注入』してやろうと思いつきました。これをやるにあたっては、当時平田高校2年生だった次女の楓に「お父さんこんなことをやろうと思うけどどう思う」と相談しました。すると楓は「お父さん、平田高校でやるならまだ反応があるけど、思春期真っ只中の平中でやったらドン引きだよ」と言われました。「わかった。でもお父さんはやるけん!」。
秋の運動会の開会式にPTA会長の挨拶の枠はありません。教頭先生にお願いし挨拶をさせていただきました。教頭先生に紹介された私は演題に上がり、ポケットから取り出したタイガーマスクを被り、全校生徒に向かって、
『元気ですか!。元気があれば何でもできる。いくぞー、1・2・3ダー!』
全校生徒は楓が言ったとおり「シーン・・・」。でも横にいた先生や保護者の方々が大盛り上がりでした。演台を降りた私に教頭先生が走り寄り私の手を握って「多久和さんありがとうございました。大変良かったです。でもお宅の栞さんはずっと下を向いておられました」「先生、栞のフォローはよろしくお願いします」。
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当然のことながら栞はそれから数か月私と口を聞いてくれませんでした。でも時間の経過はいろいろな事を風化させてくれます。年末には普通に会話をしてたように記憶しています。
時は過ぎ平田中学校の卒業式がやって来ます。卒業式にはPTA会長の挨拶があります。卒業式の1ヶ月くらい前になると、いろんな保護者の方から「多久和さん、卒業式は何やってごす?」と言われるようになり、いい気になった私は卒業式の挨拶のネタを必死に考え卒業式の前夜を迎えます。女房が私に「お父さん、栞が泣いとるよ」「どうしたん?」「明日お父さんが何するかわからんから、卒業式行きたくないって言ってる」「まじかー!」
私は挨拶の原稿を全部普通に書き換え普通の挨拶をしました。
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栞は小学校から新体操というスポーツをしており、平田中学校でも新体操部で頑張りました。高校でも続けたいということでしたが出雲の高校に新体操部が無く、平田中学から一人だけ松江の開星高校に進学することになりました。開星高校新体操部はインターハイや国体出場の常連校であり練習は厳しく、毎朝6時20分斐川庄原駅発の汽車に乗れるよう私が送り、夜は9時着の汽車を迎えに行くという生活で3年間はあっという間に過ぎ、開星高校の卒業式の日を迎えます。
卒業式が終わり、保護者が各クラスに案内され、私と女房も栞のクラスに向かいます。栞のクラスに入ったところ見知らぬ男子生徒が私を見て「あっタイガーだ!」と言いました。「タイガー?」と私がキョトンとしていると、男子生徒の向こうで栞がこちらを見てニヤニヤしています。そんなんです。栞は3年前の悪夢のような出来事を3年間で浄化させ、友達とのコミュニケ―ションのネタとして使っていたのです。それに気づいた時私は、あの時の平田中学全校生徒への『闘魂注入』は間違ってなかったと確信しました。
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これが私と栞の絆をテーマとした深いいい話です。
今、栞は今年の秋に控えている自分の結婚式に、新婦の父親が何を仕出かすかハラハラドキドキの毎日を送っていると思います。
