「島建コンサルタント株式会社 令和7年 年始会」社長挨拶
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新年あけましておめでとうございます。
昨年のお正月は能登半島地震や羽田空港での飛行機事故等、波乱なスタートでした。今年は天候も含め、穏やかな年明けだったと思いますが、皆さんはどんな新年をお迎えでしたでしょうか。
我が家は娘達3家族が加わり、総勢14名の賑やかなお正月でした。
三女夫婦が大みそかに年越しそばを食べながら「明日は天気が良いので早く起き、近所の小高い所に出掛けて初日の出を見る」と意気込んでいましたが、元日朝7時になっても起きてきません。7時15分頃、私が何気に二階のカーテンを開けると、夕焼けのように真っ赤な太陽が昇るところでした。私はこの家に子供の頃から50年近く住んでいますが、我が家からこんなにきれいな日の出が見えることに初めて気付きました。年始早々、今年は何か良いことがありそうな縁起の良い出来事でした。
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島建では毎年、年始会において社員の集合写真を撮影しています。これは平成18年度の小田前社長スタート年から始めたもので、私の会社の机にはこれまで撮影した全18枚の写真が飾ってあります。
初年度の写真には、最悪な経営状況下においても何故か少し微笑みを浮かべる30名の有志が写っています。この写真にタイトルを付けると『希望』です。
それから9年後の平成27年の写真は社員数も42名に増え、経営も安定した状況下で撮影されたものです。写真に写る皆の表情から付けたこの写真のタイトルは『自信』です。
そして昨年(令和6年)、社員53名が映る写真のタイトルは『余裕』です。
本日の年始会では原点(初心)に帰り、島建がこれまでどんな仕事をし、これから何を求めていくのかを皆さんと共有したいと思います。
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改めて島建は、そこで生活する人たちをより便利にする道路や橋・トンネル、そして生活する人たちの安全安心を守る河川改修や斜面崩壊、土石流、地すべり対策等土木施設の測量、地質調査、設計、工事を行っている会社です。
この仕事のやりがいは、何と言っても自分が手がけたものが形になって出来上がることです。出雲大社の玄関勢溜り。近年は出雲大学駅伝のスタート地点として全国版テレビで放映され、今年のお正月も大変な人で賑わいました。この勢溜りの交差点は私が設計しました。私はこの勢溜りへ第三者と訪れた時には「この交差点、俺が設計したけん」とさりげなく自慢します。するとほとんどの人が「凄―い」と感動してくれます。
その他のやりがいとしては、見知らぬ方から「この道路が出来て本当に便利になったわ」とか、「この施設が出来たお陰で毎晩よく眠れるわ」という言葉を聞くと、「あーこの仕事をしていて本当に良かった」と思います。
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今から40年程前、私が島建に入社して間もない頃、旧建設省、今の国交省出雲河川事務所発注の、神戸川幅杭設置業務という堤防堤脚水路の設計を行いました。これは氾濫を繰り返し出雲、平田、松江に浸水被害をもたらす斐伊川の洪水対策を目的とする斐伊川3点セット、①志津見ダム、尾原ダムの建設、②斐伊川放水路建設と神戸川の拡幅、そして③松江の大橋川拡幅という壮大なプロジェクトの一部です。この測量設計業務は、今では考えられない程短い工期が設定されていました。毎晩深夜まで休みも無い状態で働きながら私は「こんな壮大なプロジェクト、完成するわけない」と真剣に思っていました。あれから40年。大橋川の拡幅を残し事業の大半が完成しています。
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昨年、新潟県へ行く機会がありました。新潟市の隣に燕三条という鋳物加工で有名な町があり寄ってみることにしました。新潟市から燕三条までは車でも電車を使っても約1時間。島根でいうと出雲-松江間に匹敵する距離です。新潟には新幹線が通っており、新幹線を使うと新潟市から燕三条まではわずか10分。新幹線って凄いなと感動しました。
この上越新幹線は昭和の時代、新潟出身の田中角栄総理大臣の肝いりで作られました。昨年はお隣の鳥取県から石破茂内閣総理大臣が誕生しています。山陰にも新幹線構想があります。自民党、今厳しい状況ですが石破首相には今から40年50年後の完成を目指し、山陰新幹線開通の礎を築いていただきたいと思います。
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まとめです。島建が携わる建設業は『夢を形にする魅力あふれる産業』です。皆さんはこの事を再認識し、『多くの方に夢を提供し続けていただきたい』と思います。
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『初心忘るべからず』、令和7年もよろしくお願い致します。
